☆第29回 あるこう会 開催報告
「生麦事件の足跡をたどる」 ~国道駅から生麦事件の碑まで~
令和7年5月31日(土)に第29回の花巻人会親睦交流会の歩こう会を実施しました。
朝から雨模様と風の強い中にも関わらず、13名の方が参加しました。国道駅で9時半に待ち合わせをし、生麦に在住の元生麦小PTA会長の遠藤さんに案内役を務めてもらいました。 昭和3年に作られ5年に開業したという95年の歴史を持ち、いまだ改修されていない横浜では珍しい無人駅の国道駅から歩き始めました。燕が盛んに飛び回り我々を見送ってくれました。
まず初めに魚河岸通りを歩き、近くの慶岸寺に寄りました。ここには、新しく作られた七福神の石像が置かれ、きれいな境内には紫陽花も咲き始めていました。門の横には、子育て地蔵があり、出産を控えた女性が安産を願って訪れていたようです。そこからまた魚河岸通りに戻り、今度は元生麦小PTA会長の巴さんの店に寄り、天然のマグロと養殖のマグロを一切れずつご馳走になりました。これがまた、ほっぺたが落っこちそうなほど美味しくてビールを飲みたい気分になりました。そこから数軒先の高橋海苔店によりこの店で焼いて作っているという海苔やかんぴょうを購入して先に進みました。
魚屋さんの角を曲がって鶴見川に出て、貝殻浜公園に行きました。ここは、二十年ほど前までは貝殻の捨て場所になっていて貝殻の上に家が建てられていたようで、近くに船がつないであり、昔はこの船で生活している人もいました。そこから、海の安全を守るために建てられたという水天宮に寄り、再び通りに出て正泉寺に行きました。ここは、明治6年に建てられ生麦学舎と言って生麦の寺子屋があった場所です。そこから、今度ははす向かいの道念稲荷に行きました。道念稲荷は、翌日の「蛇も蚊もまつり」の準備がされていました。案内役の遠藤さんがさすがに地元の人を良く知っていて、蛇も蚊も保存会の方が神社の中を開けてくれて、三体の蛇を見せてくれました。目が入った三体の蛇がそろってこちらを見ている姿は迫力がありました。
さらに、歩いて行くと生麦事件発生現場に着きました。ここには立て看板があり、1862年8月21日に発生しリチャードソン以下4名のイギリス人がここで薩摩藩士から切り付けられたという看板がありました。そこで少々説明を加え、近くにある生麦小学校に行きました。ここには、今時珍しい二宮金次郎の石像が残っていて、100周年を記念して作られた歌の碑を見たりしました。ちなみに生麦小学校の校歌は「海から呼ぶこえ」という校歌の名前で、これは童謡「たき火」で有名な紫波町生まれの巽聖歌さんの作詞です。そこから、また魚河岸通りに戻り神明神社に行きました。ここには、翌日の「蛇も蚊もまつり」で使う萱が山と積まれていました。
そして最後の目的地、キリンビールの横にある「生麦事件の碑」に向かいました。キリンビールの工場の敷地は横長でとても広い敷地がありました。その、工場の見学場所の手前にある「生麦事件の碑」に行きました。ここは、リチャードソンがとどめを刺された場所で、ほかの3人は傷を負いながらも居住地に逃げ帰り助けを求めました。この事件をきっかけとして翌年薩英戦争が起こり、徳川幕府が衰退し明治維新へと変遷を遂げていくことになります。
この碑の前で記念写真を撮り、キリンビールのビアホールで工場直送のビールを飲み、昼食場所の南門飯店に向かいました。南門飯店でもとても盛り上がり、青森県大間出身の店の方とも楽しい話をし、歩いた疲れを忘れるほどでした。
今回の「生麦事件の足跡をたどる」の歩こう会で、生麦を実際に歩くことでさらに生麦事件についてさらに知ることができました。
(追伸) 翌日再び生麦に行き、「蛇も蚊もまつり」を見てきました。
報告 会長 畠山 真
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